『愛の挨拶』『冬ソナ』『太王四神記』・・・・・・
デビューから現在まで極秘レッスンを続けてきた演技学校の代表が初登場-
“演技の師”が15年間の秘密を独占告白!
韓国内には役者の演技を教えるアカデミーが約200校あるという。ペ・ヨンジュンがデビュー前から指導を受けた“演技の師”が「師弟交流15年」秘話を初めて語った!
「学院がここに移転してから1ヵ月になりますが、ヨンジュンは『太王四神記』のシナリオ演習に4回ほど来ました。最近は会うとよくヨンジュンは私に聞きます。『ヒョン(兄さんの意)、僕は最初会ったとき、どうだった?』って。正直、初めて会ったときはスマートでふらふら遊びそうな感じだった。でも意外に情熱的で根性がありましたね」そう微笑むのは、演技学校『スターゲートアカデミー学院』のキム・ジョエプ代表(42)。『愛の挨拶』でのデビュー前から現在に至るまで15年間、ペ・ヨンジュン(34)の演技指導にあたり、作品の選定相談も受けてきたヨン様の“演技の師”にあたる。きむ代表は7年間で約200人の俳優に教えてきた。「『太王四神記』のヒロイン、イ・ジアも今、私がトレーニングしています。昨年から10回は済州島を行ったり来たりしていますね。 私はもともと大学路の劇団で演劇をしていましたが、'89年から『表現芸術研究所』で2年間、国内で有名な8名の教授からスパルタ式で師事を受けました。その後、SBSのタレント教育に携わり、私には演技をすることよりも人に教えるほうが才能があると思ったんです。 ヨンジュンとは私が個人で演技の講義をしていたときに先輩の紹介で出会いました」キム代表が日本メディアの取材に応じるのは初めて。「どうして取材を拒んできたのかというと、ヨンジュンが“ヨンサマ”になってから、周りの一部の人たちが彼を利用しようと考え、親しかった人たちまでもが利益追求に走る姿を見てきたからです。 実際、この間もヨンジュンが悲しそうに私にそんなことを訴えていました。ですから私までそうしたら気楽に会えなくなるんじゃないかと心配で自制していたのです」
河川敷で缶コーヒー片手に“男の約束”を
誰よりも堅い絆ゆえ、応じてくれた日本初取材。「ヨンジュンは毎年、一度も忘れずに私の誕生日を祝ってくれます。健康食品やエルメスの時計、ヴィトンのカバンやゴルフクラブセットをもらったこともあります。 彼がアメリカに行っていた年も、マネージャーに頼んでカードまで書いて送ってくれました。去年は紅参(朝鮮人参)エキスをもらいました。 私はヨンジュンに主に本のような、もらったら気持ちが楽になるようなものを贈っています。たとえば“説教”の内容をまとめたもの。 私は協会に通って9年目になるんですが、伝道してくれたのがヨンジュンなんです。 彼が鴨鴎亭にある協会に通っているときに誘われ、信じるようになりました。私はまだ通っていますが、彼は忙しくて来られなくなりましたから、説教の内容をファイルにまとめ、彼に贈ったりしています」キム代表の演技指導法は感性の訓練から発音、発生、呼吸法、話術にまで及ぶ。「これまでたくさんの俳優を見てきましたが、自分の目標をやり遂げるための勝負欲や、目標を達成しようとする意志がヨンジュンほどにはみんな、ないんです。ヨンジュンは6ヵ月、一生懸命学んで『愛の挨拶』(‘94年)でデビューが決まりました。翌朝早くに“主役に決定した”と電話がきて、私も本当に喜びました。マネージメント会社を選ぶうえでのアドバイスをしたりもしました。デビューする前はヨンジュンとよく一緒にいましたね。水上スキーへも行きました。安城の高山という釣り場に『釣りをしたい』と彼が言って初めて行ったんですが、ヨンジュンは釣りの本を10冊くらい買い込んできて、10日間、釣り船で釣りの勉強をしながら釣っていました(笑)。それほど、彼は何でもきちんと学んで完璧にしようと努力するんです」趣味のカメラを初めて学んだときも、彼はカメラの本を徹夜で読み、目を真っ赤にして勉強していたという。「若い人は歓楽街などによく行きますが、ヨンジュンは最初からそうした場所には出入りせず、むしろその時間に勉強して本を読むなど、非常に自己管理が上手です。一部の人は『運だけで彼はヨンサマになったんだ』と言いますが、私が15年間見守ってきたヨンジュンは、努力に努力を重ねて、ようやく自分で運をつかんだんだと思います」数年前までは、1週間に3~4日、寝食をともにしていたという。「私が自炊をしていたときはヨンジュンが私の家に来ていました。ヨンジュンの家にもよく夜、自転車に乗って行きましたね。彼のお母さんがいつも朝ご飯を作ってくれたものです。 最近は彼が忙しくなって、なかなか家には行けませんが、昔はお互いに相談するlことがあると、事務所近くの新沙洞の河川敷に行っては、当時300ウォンだった自動販売機のコーヒーを飲みながら、いろいろ話し合いましたね」これは韓国でも知られていない話、とキム代表はこんなエピソードを教えてくれた。「ドラマ『初恋』('96年)を撮る前、河川敷でヨンジュンに、『お前がスターになっても、器の大きな人になれ。よいことをたくさんしなさい。孤児院に行って写真を撮り、自分がこんなに助けたいというような手助けではなく、本当に心から助けるんだ。そうすればもっと大きなものが得られるはずだ』と話したんです」
1週間後、再び河川敷にコーヒー片手に集まった2人-。
「ヨンジュンは3千万ウォン(約450万円)を恵まれない子どもたちに無記名で寄付した、と私だけに打ち明けてくれました。『ヒョン、手助けをして、とても胸がいっぱいだ』と言うんです。だから私は、『世の中が認めなくても、いつかはお前に返ってくる』と話しました。ヨンジュンは静かに、表面に出ないようにやっていたんです」‘97年にはヨンジュンとマネージャー、キム代表の3人が路上で「スリ!」という叫びを聞いてスリを捕まえようとバイクで追跡したことも。その際、先頭をきっていたのがヨンジュンだったそう。「結局、捕まえられなかったのですが、あのとき必死な彼を見て“義”の心があると感じたんです。簡単にできることではありませんからね」『冬のソナタ』の撮影前の'00年12月、シドニーに行く際は機内の11時間、一睡もせずに『冬ソナ』での演技のコンセプトを話し合ったという。
「仕事だけでなく、話は何でもします。個人的な悩みから国に対することや文化、情緒から教育問題、青少年の未来についてまで、互いに深く対話します」キム代表もまだ独身ということもあり、結婚についてもよく話すという。「よくこう言われるんです。『ヒョン、早く結婚しなさい。ヒョンが先にしなきゃ。弟はヒョンが結婚する姿を見てからじゃなきゃ!』と言うから私も、『気を使わずに、いい女性に会ったら先に結婚しろよ』と言っています。ヨンジュンは知的で賢い女性が好きですね。それから、赤ちゃんも好きですよ」キム代表は'00年9月に『スターゲートアカデミー学院』の代表になるが、'02年には祥明大学映像学部の教授にも就任する。「教授になったときはヨンジュンが大喜びしてくれました。その年の1学期の終わりに学校に来てくれる予定だったのですが、彼の来校を学校で宣伝してしまったせいで千人以上のファンが集まり、彼も負担に感じてしまったようで。『来なくていいよ』と話したこともありました」“ヨン様”となったヨンジュンにはショックだったかも。
キム代表がヨンジュンに行う演技レッスンは近年、変わってきているという。「今では私がシナリオを持ってヨンジュンを教える立場よりも、一緒に研究をします。『ヒョン、これはこうしたほうがいいんじゃない?』『うん、それがいい』・・・・・・。そんな相談をして、視聴者を考えながら頭を突き合わせて研究するんです。 今はパートナーでしょうね。ゴルフで言うと私がキャディ。そんな感じです」ヨンジュンを“よく考える弟”だと評するキム代表。「本もたくさん読み、頭もいいので、話を聞くと事業家的な気質があると感じます。 ヨンジュンは今よりもっと大きく、多くのことをやれる人。レストランなど彼が事業を展開するのは、正しい選択だと思いますよ」キム代表は“将来、実現したい”とヨンジュンと話し合っていることがあるという。「私は、ソウル近郊の空気のいい場所にスターを生み出す俳優養成学校を設立することが夢なんです。1日16時間、軍隊よりも、もっとスパルタ的な教育をして、演技だけではない総合教育を行いたい。いつかは一緒にやろうと彼にも話しています」夢を語ると熱くなるのはヨンジュンの盟友の特徴かも。「私は15年の間、ヨンジュンを見守ってきました。彼は多くの人々に愛されるべき人。ファンの皆さま、変わらずに長い目で見守ってください」キム代表は家族への“愛の挨拶”で締めくくってくれた。